9月16日午後1時本会議場にて。 質問順は一番目です。

市民クラブの加藤尚登です。通告に従い、一般質問を行います。
一項目目は長岡市の平和に関する事業についてです。
8月は昭和20年8月1日の長岡空襲や、広島長崎への原爆投下、そして15日の敗戦の日を迎えた月であり、長岡のみならず、日本中で戦争と平和を考える月となっています。長岡では1日早朝の平潟公園での戦災殉難者慰霊祭、昌福寺での戦災殉難者墓前法要、平和の森公園での「非核平和都市宣言市民の集い」とつづき、午後からはリリックホールに於いて「ながおか平和フォーラム」夕刻には柿川灯籠流しが行われました。
また、3日から17日まで開催された「漫画家・作家たちの絵手紙~私の8月15日展」は、128名の方の絵手紙142点が展示され、それぞれの戦争への関わり、思いがひしひしと伝わってくるものでした。
平和は、尊いものです。一人一人の命も同じく尊いものです。
そして戦争は悲惨なものです。理不尽なものです。
この一連の行事を通じて、そのことがよく伝わってきます。戦後の時間はどんどん過ぎ去っていきますが、特に次代を担う子どもたちには戦争の事実を語り継いでゆく努力が今後とも必要だと思います。
しかし、この長岡の一連の平和事業が、もし本当に平和を希求する取り組みだとするなら、もう一つ私には不足している部分があるのではないかと思うのです。
なぜ戦争は起こるのか、そして先の大戦に限らず、明治維新後の日清・日露の戦争も含め、なぜ私たちは戦ったのか、時代背景はどうだったのか、国民・市民はどういう意見だったのか、マスコミは、知識人は、政治家は、どういう意見だったのか、そして、戦争の相手はどんな歴史と世界観を持って日本に対峙していたのか・・・そういう具体的な視点が欠落しているのではないかという感想を持つのです。
欧米の大学では、「戦争学部」「戦争研究学科」ないしは「戦争学の講座」が設置されているところがあるそうです。そこでは、陸・海軍の歴史、戦術、国家安全保障と戦略などの軍事的知識が一般教養として大学生に教えられています。二度の世界大戦の主戦場になったヨーロッパ諸国はなぜこんな悲惨な戦争が起こるのかを必死で解明し、二度と世界大戦を起こさないために「戦争」を研究しているのです。
それは、健康を守るために、病気を研究するようなもので、道理にかなっています。「平和を望むなら、戦争を理解しなければならない」と言うことです。
現在の日本、そして長岡市の平和事業は、「戦争は、悪だ。だから、明治維新後の・・・特にシナ事変、大東亜戦争と続く昭和初期、日本は間違った道を歩んでしまった、そのことを反省してもう二度と戦争はしないことを誓う。」という風な単純な認識に立って一連の平和事業が行われているように感じるのです。
今回の津波被害のような自然災害であれば、その悲惨さを確実に受け継ぎ、ハード、ソフトの対策を進めていけばそれで十分だと思いますが、戦争のように、相手がある場合は、その悲惨さを語り継ぐだけでは、平和は構築できないと思うのです。
戦争はお互いに正義があります。その正義は、その国、国民の歴史に根ざした価値観や、その時の経済状況から発生するものです。もちろん当時の日本にも正義はあったのです。
当時アジアの国々はたった二カ国を除いてほぼすべての国は欧米列強の植民地となっていました。その二カ国の名前を答えられる人が意外と少ないのも気になりますが、当時の日本にはそういう現状に対する危機感はあったはずです。
そのことを伝え、正義と正義の衝突がいかに悲惨な状況をもたらすか、それを回避するにはどういう方法があるのか・・・を考えることこそ真の平和教育ではないでしょうか。
そこでお伺いします。
1 戦争の悲惨さを語り継ぐことに加えて、どうしたら戦争が防げるのか、言い換えれば先の大戦がどうして引き起こされたのか、あるいは、どうやって平和がもたらされているかを平和事業の中で取り上げ、市民力を向上させる必要を感じますが、ご見解をお伺いします。また、児童、生徒に対する平和教育のなかで、そういう取り組みをされているのかをお伺いします。
2 単純に戦争は悪だ、そして日本は一方的な加害者だという戦後教育は、「自虐史観」を生みました。このことは、先の大戦で尊い命を戦場に散らした多くの英霊に対し、大変失礼なことだと思いますし、子どもたちの我が国に対する誇りを傷つけることにもなりかねません。教育基本法の改定で郷土を愛する心・愛国心を育てる教育に眼目が置かれましたが、教育の現場ではどのように子どもたちに教えてゆくお考えか、を伺います。
3 私は8月1日以降の一連の平和事業に参加させてもらいましたが、まだまだ参加者の広がりがあっても良いように思います。長岡空襲が中心市街地であったことなどから、私の出身地区も含め、合併地域などからの参加者もごく少ないのではないでしょうか?
例えば、8月1日を「長岡平和祈念日」などとし、長岡市民が1日静に平和について考える日としてはどうでしょうか。
4 長岡は県内唯一の戦災都市であり、しかも戊辰戦争を入れれば二度も戦火に焼かれてその都度不死鳥のようによみがえった市です。平和について考えるに長岡市ほどふさわしい場所は近くにはないと思います。「長岡平和フォーラム」をより充実させ、有識者や、長岡応援団などの著名人に集っていただき、戦争の原因と結果について多角的に討議してもらい、市内外からさらに大勢の人に長岡に訪れてもらう機会にしてはどうでしょうか。
質問の二項目目は、ホノルル市との平和交流についてお伺いします。
平成19年8月に当時全国市長会副会長であった森市長がホノルル市で開催された日米市長交流会議に出席され、ハンネマン前市長と平和交流について意見交換されたのをきっかけに、これまでの約4年間で、ハワイ州や、ホノルル市から6回ほどの訪問を受け、長岡市からも市民団体や中学生の海外体験事業も含め、8回ほどすでにホノルル市を訪問しています。21年8月には「日米友好の架け橋実行委員会」が設立され、よく22年8月にはハワイ日米協会との間で「平和教育交流合意書」取り交わされました。この合意文書の中には、きちんと「悲惨な出来事を伝える記念碑・記念物などは保存されていきますが、その記憶や、戦争の原因と結果についての思いは人々の心から徐々に薄れて行っております。」との問題提起がされており、戦争の原因と結果について学ぶという理念は私と思いが一致するものです。
そして今年8月3日にはピーター・カーライルホノルル市長が公式訪問され、大手通りで行われたパレードでも市民に大歓迎され、気さくな人柄が伝わるスピーチに友好ムードが盛り上がりました。
私は、この平和交流には実に多くの実がなると考えています。今後も、大いに推進するべきだと思います。
その理由は、先の質問でも述べましたが、戦争とは、お互いの正義がぶつかり合うことであり、相手国の、歴史や、国民性をよく知ることから衝突の回避が可能になると思うからです。もちろん、今の日本がアメリカと衝突する可能性はありませんが、ホノルル交流を通じて、当時のアメリカの正義を知ること、そして、日本の正義を知ってもらうこと、さらに、不幸にして戦争という衝突を起こしてしまった歴史を振り返り、お互いにどこに問題があったのか、そして、衝突回避の可能性を探る中で、これからの国と国、あるいは、国民と国民のつきあい方を学ぶ機会になるだろうと思うからです。また、ハワイがアメリカ合衆国に編入された歴史なども、当時のアメリカや欧米諸国の性質を知る上で欠かせない知識となると思います。
幸いにも、真珠湾に沈む戦艦アリゾナの上に立てられた記念館において、我が郷土の出身で、真珠湾攻撃を指揮した山本連合艦隊司令長官のことが、最後まで対米戦争に反対していた軍人であると紹介されているそうです。アメリカ人は、歴史を実直にみることができるようであり、そんな多くのホノルル市民に、是非長岡の戦災資料館に訪れてもらいたいと思います。
1 そこで市長に、今後のホノルル市との平和交流の展望について、所信をお伺いします。
また、ホノルルと長岡の交流に於いて欠かせないのは、山本五十六という長岡出身の軍人のことです。攻撃を受けた側においても敬意を持って紹介されている我が郷土の英雄とも言うべき山本五十六を顕彰することも、長岡市の責務ではないかと考えます。山本五十六公園は、命日の4月18日の慰霊祭の前に、毎年海上自衛隊新潟基地分遣隊の皆さんによりきれいに清掃されていることをご存じの方は少ないと思います。
一昨年、私の海上自衛隊時代の教官であった方が長崎から来岡された折、山本五十六記念館と共にこの公園にご案内したのですが、公園を見るなり、「なんだこれは!」と絶句されていました。山本五十六の高名さに比べ、地元の扱いがぞんざいに過ぎるのではないかと危惧しているところです。12月23日には、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」が全国で上映され、多くの観光客が訪れることも予想されます。
2 この山本公園の現在の管理状況を伺うと共にさらなる整備を望むものですが、ご見解をお伺いします。
今でも世界中で戦火のやむ日はありません。兵士同士の殺し合いどころか、一般住民を巻き添えにした紛争が世界各地で進行中です。特にアフリカ、アジア地区が戦死者数においても圧倒的で、日本の周辺でも、いつ軋轢が紛争、戦闘に発展するか予断を許さない状況です。
そんな中で、平和を維持するにはよほどの覚悟と継続した努力が必要です。私たち日本人だけが得をする、平和を享受するということを諸外国が許してくれるでしょうか?
現在の我が国の繁栄は、先の大戦で毅然と戦い散っていった多くの英霊の犠牲の上に成り立っています。
大戦末期、戦艦大和が沖縄に向かう艦内では、その特攻作戦の意味について疑問の声が多々あったそうです。そんな中、哨戒長の臼淵大尉の次の言葉で乗員は納得して出撃していったと、生き残った大和乗組員吉田満氏がその著書「戦艦大和の最後」で書き残しています。
「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ(中略)日本再生に先駆けて散る 正に本望じゃないか。」
戦争は、政治の延長線上にあります。開戦を決めるのは、民主主義国家においては、国民が選んだ政治家であり、先の大戦当時も日本は民主主義国家でした。ヒットラーも、ムッソリーニも国民から選ばれた政治指導者であり、だからこそ、私たち市民にとって、平和教育は重要なのだといえます。戦争反対を訴えて、戦争と、その原因をを知ろうとしないのは、健康を訴えて病気とその原因を知ろうとしないことと同じです。一面的な情報だけでなく、広く世界を見据えた重層的な平和教育と、そのための国際交流が推進され、長岡の市民力が平和希求の点においてもさらに向上することを願いまして、質問を終わります。
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